協議会への提案

〜街をちゃんとみて、ガイドブックを作ろう〜

●景観計画は空想か?

 残念なことに、景観計画や方針を読んでも、その背後に、さすがによく調べてある、さすが永年にわたってデザイン指導をしてきただけのことがあるという蓄積を感じない。
 はっきり言ってしまえば、景観計画や方針は、京都はこうに違いない、この地区はこうであって欲しいという空想の産物である。
 私が参加した御所西について言えば、なるほど顔になっている烏丸通り沿いはそれなりの捉え方だが、奥の図子が入り組んでいるようなところは存在しないかのような書きぶりだ。
 そのうえ、御苑を和風と取り違えたのか、烏丸通りの代表的な現代建築に一つも存在しない日本瓦に異様に執着している。
 観念の産物である。

●法律・条例によるルールの意味

 景観計画やデザイン規準に関しては
1)その通りつくったら並み程度には良い建物、景観ができるのか?
2)仮に並み程度の良い物ができるとしても、真に創造的なものを排除してしまうのではないか
という2つの論点がある。
 これについては、月並みなものは基準通り建てればよく、2)については丁寧なデザイン審査で例外を認めてゆけば良いというのが大方の回答だろう。
 その前提は、基準通り建てれば月並みの建物が建ち、景観もそこそこ整ってくるというものである。
 果たして、そうか。
 すでに調査で明らかになったように、基準通りに建ててもろくな物にならない場合も少なくない。
 これについては、基準は最低限のルールなので、基準通りつくっても建物全体、まして町並みが美しいものになるという保証は一切ない。物理的な制約があるように、社会的な制約があるなかで、いかに美しい物をつくるかは、やはり建築家などの善意と才能によっている。
 だから基準通りつくってもろくなものにならないのは、基準が悪いからではなく、建築家が才能がないか、やる気がないからだ。行政はそこまでは関与できない、という議論がある。
 果たして、それで良いのか?
 そんな才能と善意あふれる建築関係者に頼っていて大丈夫なのか?

●ルールの是正は住民に丸投げか?

 調査で明らかになった基準のいい加減さを是正して行くには、細分化された地区ごとに住民参加で基準を見なおしてゆくしかないという人がいる。
 いったん都市計画決定されたものを、全面的に見なおすのは非現実的だとか、京都市の「進化するデザイン基準」とはそういう意味なのだから、その方法に従うしかないという話だ。
 これと似たようなことを、一昔前、マンション反対を叫ぶ住民にたいして、京都市が言っていたことを思い出す。「都市計画はそうなんているんです。もしマンションがイヤなら、事前に住民の皆さんで合意いただいて地区計画をかけるなりしていただかないと、行政としては何もできません」。
 まったく同じ論理である。
 それで、いったい何カ所で地区計画ができただろうか?
 原因をつくったものが、その責任を棚にあげて押しつけるな!と言いたい。

●では、どうする?

 なんども紹介しているが、美観地区の時代、たったA3裏表で美観地区全体の基準を解説していたチラシとは別に、美観地区・地区別基準というものがあった。これも御所地区でいえば、2〜5種美観地区276ヘクタールをたったのA4、4ページで説明するものだった。地区の特性を説明し、好ましい建物例を示しているにすぎないが、それでも、あるとないでは大違いである。
 今回、協議会でなすべきことは、同様の作業である。そのイメージは
1)力量に応じていくつかの地区に絞って取り組む
2)その代わり、その地区についてはくまなく何度も歩いてみる。
  それも無理なら、私たちがせざるをえなかったように、地区のなかの限られたエリアに限定して始めても良い。
  そうすれば、景観計画の方針に書いてあるイメージに近い部分もあろうが、似ても似つかないところがイヤでも出てくる。それを逃げずに直視することが大切だ。
3)その地区はどんな地区か、どんなところが良いか、写真や文章で示してみる。
  もちろん歴史や空間構造も前提として押さえる。
  このときも、これは趣味に合わないと思うような箇所も、逃げずに向き合うことが必要だ。
4)それぞれの地区でちょっと良いなと思える新しい建物を拾い出してみる。
  多くの場合、デザイン基準からみれば疑問符がつく建物がいっぱい出てくるだろうが、気にせず紹介する。
  また、その良さを個別の建物、建築要素としてではなく、町並みや地区特性との関係で説明することが大切だ。
  もちろん、地区特性とはかけ離れた場所でも、目をそらさずに、少しでもよいものを探す。
5)以上をなるべく簡潔にまとめる。
  もちろん住民と一緒にできればベスト。そうでなくても、その地区で仕事をしている、住んでいる業界関係者をなるべく巻き込んで行う。
6)成果は協議会(含む:京都市)として公表し、その地区で建てようとする人にもれなく配る。
 こういうことをすると、「デザイン基準にあっていなくても誉められている建物がこんなにあるなら、私もデザイン基準を無視しよう」という人が出てくるかもしれない。それはそれで良いのではないだろうか。きちんと周囲の文脈にあっていれば認めれば良いし、とってつけたような話ならダメと言えば良い。少なくとも美観地区・旧景観地区の時代にはその程度の柔軟性はあった。
 今回のような基準を作ってしまうと、そういういい加減なことができないという人がいるが、本当にそうなのだろうか。基準にあっていても好ましくない物を排除するのは難しそうだが、基準にあっていなくても良い物を、あんたは良いからOK、こっちは読み間違えているからダメと言えずに、景観がよくなるはずがない。
 ここは頑張ってもらうしかない。
 そのとき、行政が勝手気ままにやっているのではなく、このガイドブックにそって基準を弾力運用していると分かれば、理解も得やすいし、万が一裁判になったときも、少しは効力があるだろう。だいいち、市民が味方につけば、負けても悔いはなかろうし、京都で商売をしようという業界人ならそんな喧嘩はしまい。
 またそういった例外扱いの事例も含め、新しく建った建物を集積して、ガイドブックに加えてゆけば、ますます物事ははっきり見えてくる。
 なお、こういう作業を積み重ねてゆけば、なにも全地区をやらなくても、ましてやたらに地区を細分化しなくても、いろいろな状況下での最低限の作法が見えてくるのではないだろうか。
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